笑顔を届けるてんかん講師の中村真二です。
僕の人生や思いが詰まった一つのフレーズがあります。
それが、“笑顔を届けるてんかん講師”です。
今回は僕の肩書でもある”笑顔を届けるてんかん講師”の意味を紹介したいと思います。
”てんかん講師”に込められた2つの意味
まず、てんかん講師についてです。
これには2つの意味が込められています。
それは、「癲癇」と「転換」です。
どちらも読みは、「てんかん」です。
”癲癇”を持っている僕
まず「癲癇」。
漢字で書くとあまり見慣れませんが、僕が16歳のときから持っている脳の病気のことです。
”癲癇を実際に持っている講師”という意味が、てんかん講師の1つ目の理由です。
何かを話したり、伝えたりするときに、誰が言うのか?
というのはとても大事なことだと思います。
実際に癲癇を持っている僕だからこそ、理解できること、伝えられる思いがあると思っています。
僕が”転換”させたいもの
そしてもう一つの「転換」。
別の異なるものに変えること。向きを変えること。また、変わること。
辞書で調べると、こんな意味が出て来ます。
僕は自分の経験したことを伝えることで、”癲癇”に対する考え方を、プラスな方向へ”転換”させたいと思っています。
僕自身、癲癇になって辛い経験をしたり、深く悩む日々を過ごしてきました。
しかし今となっては、癲癇のポジティブな面を見ることで、プラスに捉えることができています。
もちろんすぐに変われたわけでも、簡単に変われたわけでもありません。
ただ、当時の苦しんでいた僕が、”癲癇にはポジティブな一面もある”という考えた方を知れれば、もう少し気持ち的にも楽になれたかな、と思います。
そんな思いを伝えることで、癲癇で苦しんだり悩んだりしている人に対して、考え方を少しでもプラスな方向に転換していきたいという思いがあります。
なぜ笑顔を届ける?
では、なぜ”笑顔を届ける”必要があるのでしょうか?
それは、”癲癇をプラスな方向へ転換させるには、笑顔が大切”だと思っているからです。
癲癇になった当初、僕から笑顔が少しずつなくなっていきました。
「なんでこんな病気にならなければいけないのか?」
「僕の人生はどうなってしまうのか?」
毎日同じことで悩んでいました。
しかしそんな僕でも必ず笑顔になれる瞬間がありました。
それは、地元の友達と遊んでいるときです。
彼らは僕が癲癇を持っていることを全くと言っていいほど、気にしません。
「少しは気にしろよ・・・」と、たまに思うくらい気にしません。
彼らは、”癲癇”であることよりも、1人の人間”中村真二”として僕を見てくれます。
それが僕にとっては、何よりも嬉しくて、彼らと一緒にいるときは腹筋が崩壊するくらいゲラゲラ笑うことができます。
そのときは、癲癇のことを忘れることができました。
もちろん笑顔でさえいれば癲癇をプラスに考えることができる、という訳ではありません。
しかし、笑顔でいることは癲癇をプラスに考える上で、とても重要だと思っています。
なので僕は、”笑うことの大切さを届ける”、”笑顔になって欲しい”という思いを込めて、「笑顔を届ける」という表現を使っています。
”笑顔を届けるてんかん講師”の僕が届けたい思い
僕はてんかんになって、人生が大きく変わっていきました。
日常生活に恐怖を覚え、生きていく意味を失いかけました。
しかし僕の人生に生きる希望を与えてくれたのも、てんかんでした。
てんかんを持っている僕だからこそ、伝えられることがあると気付いたからです。
例え、てんかんになったとしても人生が不幸になるわけでは決してありません。
てんかん=不幸ではないのです。
どんなことがあっても、自分の人生がどうなるかは、自分で決められます。
誰かが決めるわけではないし、何かが決めるわけでもないです。
もちろん、てんかんが決めるわけでもありません。
自分自身で決められるのです。
僕はてんかんになって、それを知ることができました。
そんな思いを届けることで、1人でも多くの人に、後悔がない、最高な人生を歩んで欲しいと願っています。
最後までご覧頂き、ありがとうございました。
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「癲癇」と「転換」
どちらも読みは、”てんかん”。癲癇という病気の見方や考え方を、プラスな方向へ転換させたいという思いから、”てんかん講師”と名乗っています。
僕自身が、癲癇になって、人生が何度も転換していった。(悪い方へも良い方へも)そんな経験を伝えていきたい。#てんかん #ミレラボ
— てんかん講師 中村真二@6/8東京 6/29浜松,名古屋 (@nakamur809) 2019年4月20日
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