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(公開:2018.8.19 更新:2022.1.15 )
リンカーン中村ってなにもの?
本名「中村真二」
1989年、浜松市出身。獅子座、O型。
16歳のときにてんかんという病気になり、人生に絶望をするも、
「てんかんを持っているからこそ、出来ることがある」
と考え、講演活動を始める。
現在の主な仕事は、
・講演家
・ブログ運営
・SNSでの発信
・YouTuber
「てんかんになってから思ったこと、考えたことを伝えることで、元気や勇気と届けたい」
「てんかんを持っている人の力に少しでもなりたい」
「自分が活躍することで、てんかんを1人でも多くの人に正しく知って欲しい」
そんな想いを持って活動をしています。
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“リンカーン”?
多くの人が疑問に持つと思います。笑
なぜ”リンカーン”なのか?
リンカーンといえば、アメリカの第16代大統領、エイブラハム・リンカーンを思い浮かべると思いますが、僕がリンカーンを名乗るのに、3つ理由があります。
・「てんかんブログ ~てんかん患者のてんかん患者によるてんかん患者のためのブログ~」を運営している。
”人民の人民による人民のための政治”という、1863年にリンカーン、がゲティスバーグで行なった演説の中の言葉を引用し、”てんかんの人のためのブログを運営しよう!”という思いから。尊敬の意を込めて。パクリです。
・奴隷解放に尽力し、多くの人を助けたリンカーンのように、てんかんで悩んでいる人や辛い思いをしている人を、苦しみから解放したい。
リンカーンは、9歳のときに母を病気で失いました。その後、黒人の親子が人身売買によって引き離される様子を目の当たりにし、「僕と母さんは死神によって引き裂かれたが、あの親子は人間によって引き裂かれてしまった。そんなことはあってはならない。」と強く思ったそうです。そしてその思いを抱き続け、大統領になり、奴隷解放を宣言するまでに至ります。リンカーンみたいに一つの思いを抱き、達成できるような人間になりたい…!!
・”リンカーン中村”って芸人っぽい。
元々、お笑い芸人を目指していて、松竹芸能タレントスクールに通っていたこともあります。”笑い”をこよなく愛しています。笑顔は人を元気にします!!その思いから、芸人っぽい名前をつけてみました。
実はこの名前は、超人気ブログ「まじまじぱーてぃー」を運営している、あんちゃさんから太鼓判を頂いた名前でもあります。
あんちゃさんに登壇してもらうイベントを企画したときです。前日うなぎを頬張りながら、ニックネームについて相談した結果、「リンカーン中村、めっちゃいいじゃないですか!!!!!!!!笑」と言って頂き、襲名。
ということで、2019年6月21日(土)より、”リンカーン中村”が誕生したのです。
みなさま、よろしくお願い致します。
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てんかんとは?
脳に原因があり、繰り返し発作を起こしてしまう病気。
発作の種類は人それぞれで、手足が勝手に動くというものから、全身が痙攣(けいれん)を起こしそのまま意識を失ってしまうものもあります。
僕自身「若年性ミオクロニーてんかん」を持っており、突然全身痙攣を起こし、意識を失い倒れることがあります。
今でも毎日朝晩、デパケンという薬を飲んで、発作が出ないようにコントロールしています。
てんかん患者のほとんどの人が投薬で治療を行いますが、手術をするケースもあります。
日本では約100人に1人が持っていると言われている、珍しくない病気です。
しかし、その一方で
・見た目は普通の人と同じ
・てんかんへの偏見
・私生活への影響
など、病気以外でも苦しむことが多い病気でもあります。
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てんかんと出会って変わった僕の生い立ち
【小学校まで】
僕には5つ離れた兄と、3つ離れた姉がいます。
小さいときの思い出はとにかく、兄、姉についていったというものです。まさに金魚のフン。
家族の中で過ごしていたこともあり、人見知りが進行し、幼稚園でもなかなか馴染めず、入園当初は脱走を図って捕まっていたこともしばしば。
家で遊ぶことが好きで、おもちゃを使って、一人でバトル遊びなどをよくしていた記憶があります。(ドラゴンボールの影響)
【小学校】
小学校の1〜2年の頃の記憶はあんまりありません。唯一覚えているのは、隣の席の男の子に鉛筆で足を刺され、大泣きしたことのみ。笑
しかし3年生になって、内気な僕に大きな転機が訪れました。担任の先生が、”笑うことが大切”といって、帰りの会の最後に、
「さぁ今日も笑いましょう!ワー、ハッハッハー!!」
というのを毎回やっていたのをきっかけに、少しずつ明るくなっていきました。
4年生になって、友達に誘われたのをきっかけに、サッカー少年団に入ります。ここで、運動の日常化、友達とのコミュニケーション、など大きな変化がありました。
そしてそれよりも大きな変化が、”お笑いと出会う”ということでした。
兄が観ていた「爆笑オンエアバトル」というNHKでやっていたお笑い番組を、一緒に観るようになりました。(深夜にやっていたので、録画したものを。)
そこで大きな衝撃を受けました。
「世の中には、こんなに面白い人達がいるのか・・・」
それからどっぷりお笑いにはまっていきます。
ちなみに小学校だけで3人の子と付き合うというモテ少年でもありました。
【中学校】
中学時代を一言でまとめると、全盛期。
・入部したテニス部の1年生大会でいきなり市内優勝。
・2年のときには、生徒会長に就任。
・3年のときの文化祭で、コントを披露し、大ウケする。
・体育祭でも応援団長を務め、優勝へ導く。
・先輩や後輩にメアド聞かれたり、告白される。
全てが上手くいっていました。時間を巻き戻せるなら、間違いなくこのタイミングです。
成績も悪くなく、生徒会長をやっていたこともあり、受験も苦労しませんでした。
【高校】
しかし、高校に入学し僕の人生は一変していきます。
・高校1年のときに、てんかんになる。
・陸上部に入部するも、走ると血尿が出るという原因不明の病気になる。→結局2年のときに退部。
・2年のときは、放課後ほぼ毎日麻雀をする。夏休みには髪を金髪に。
・ネットの掲示板で、クラスメイトを批判し、1ヶ月の謹慎処分を受ける。
・修学旅行中に発作が出て、病院に搬送される。「もしかしたら死んでいたかもしれない」という経験をする。
完全に堕落していきました。てんかんになったり、謎の病気になったり、謹慎したり、反抗期なこともあり、親にかなり迷惑を掛けてしまいました。
【高校卒業後】
高校卒業後は、“お笑い芸人になる”と決めていたので、卒業後はそれに向かい進んでいきます。1年間アルバイトでお金を貯めたのち、松竹芸能タレントスクールに通うために、上京します。
しかし、東京でてんかん発作を起こし、一人暮らしが難しくなり、半年で浜松に帰ることになってしまいました。
【帰省後】
自分の夢すらも、てんかんに奪われ、人生に絶望していました。
「自分には生きている価値なんてない」
そんなことすら考えていました。
しかしそんなある日、何気なく友達に相談したら、意外な一言が返ってきました。
その言葉がきっかけとなり、僕の中でてんかんに対する考え方が変わっていきました。
【講演を始める】
”てんかんを持っている自分だから出来ることがある”
そう思っていた僕に、2011年4月に栃木県で、2012年4月には京都で、てんかんの人が車を運転し、事故を起こしてしまう、というニュースが飛び込んできました。
このニュースを見て、心が握り潰されるくらい苦しくなりました。
「てんかんで悩む人のために、てんかんの僕だからこそできることをしたい」
そう思い、想いを伝える方法の一つとして、講演活動を始めるようになっていきました。
「もっと詳しく知りたい!」そんな方はこちらをどうぞ!
リンカーン中村てんかん記
- 「人生を変えたお笑いとの出会い」
- 「高校生活 〜病気と夢と、ときどき、不良〜」
- 「僕には生きている価値なんてないのかもしれない」
- 「”てんかんは個性…”だとしたら、何ができる?」
- 「講演を通して得た、”一生の宝物”」
- 「リンカーン中村てんかん記、完結!そしてその先へ…。」
講演実績
2014年から始めた講演活動。
30回以上の登壇で、延べ1,500人の前でお話しさせて頂きました!(2022年1月現在)
過去の講演詳細は、こちらからどうぞ↓
主にお話しする内容は、
・「マイナスをプラスに考える方法」
・「僕が”てんかん”という病気になって学んだこと〜1度きりの人生を後悔なく過ごすための3つの行動〜」
などです。
講演依頼はこちら
メディア出演・掲載
ありがたいことに、テレビや新聞、雑誌への掲載、ラジオ出演などをさせて頂きました!
- 静岡朝日テレビ
- 静岡新聞
- 中日新聞
- 浜松百選
- K-mix
- FMHaro!
詳細は、こちらをチェック
趣味
- お笑い
- サッカー
- 音楽
- フットサル
- 映画
- 人間観察
詳しく知っても何も得られるものはありませんが、詳しくはこちら↓
今後の展望、夢
・全国47都道府県で講演
・海外でも講演
・本の出版
・海外でも出版
・テレビ出演(情熱大陸に必ず出たい。)
・CDデビュー(歌うの好きなので、歌でも思いを届けたい。)
・武道館でライブ
SNS
YouTube→リンカーン中村のてんかんチャンネル
Facebook→Nakamura809
Twitter→ @nakamura_ynwa
講演情報
最新のお知らせよりどうぞ。
お仕事依頼について
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今晩は
浜松市内で2人の子育てしてる主婦です。
20代の時に脳の疾患がきっかけで、てんかん持ちに。
浜松で車なし生活は大変だと実感してます。
夫が車の運転をします
仕事選びは本当に悩みます
今は、夫婦共働きが当然の世の中で、専業主婦だとなんとなく罪悪感がある
まだ2人とも幼児だから世間的には許されるけど、今後の事も考え、ミシンで日用品や服を作ったり、色々作れるように挑戦してます。
ただ、これだけだと社会に帰属できていないので、何か動かないといけないなと考えていました。
この秋、下の子を幼稚園に通わせることになり、本格的に仕事を見つけてみようと、まずはLITALICOというところに、今月行ってみることにしました。
仕事をあっせんする所じゃないから行って意味ある所なのか?わからないけど。
リンカーンさん、てんかんと名乗っているところ、勇気ありますね!私が生きてきて意外とてんかんの人に会いました。
しかも、意外と運転してる人もいる。怖い!
明日、上の子が幼稚園で、ノリさんの絵画がを観に行きます。私も観に行ってみたくなりました。