笑顔を届けるてんかん講師のリンカーン中村です。
僕とてんかんとの今までのストーリー。全6話の第2話目です!
エピソード1はこちら
エピソード2は、てんかんになった僕の高校生活の話です。
てんかんになり、それは僕の高校生活にどんな影響を与えたのか。そして、そんな中でも抱いていた1つの”夢”とは…?
いざ、華の高校生活!
高校に入学後、周りを楽しませることで、すぐに友達ができました。クラス委員にも任命され、華々しい高校生活がスタートしました。
部活は、陸上部に入ることに決めていました。兄が高校から陸上を始めて、県で優勝をするくらいの選手だったので、“自分もそうなれるかも”という思いからです。(安易だなぁ。)
友達にも恵まれて、部活も一生懸命こなす中で、とても充実した高校生活を過ごしていました。
しかし、ある1日の出来事で、僕の人生は大きく変わっていくことになるのでした。
てんかんとの出会い
夏休みのある日、部活の大会に行くために、朝6時に自転車に乗って、家を出ました。
しかし、家からすぐの坂を登っている最中に、僕は突然意識を失った倒れました。
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その日以来、僕は「てんかん」という脳の病気になってしまいました。
狂い始める高校生活
てんかんになった頃、僕の体には、もう一つの異変が起きていました。
それは、”血尿”です。おしっこに血が混じって出るという症状です。
病院に行って検査をすると、なんと、”原因不明”。
「もしかすると運動することによって、起きているのかもしれない。」とのことでした。さらには、「このまま血尿が出続けると、今後大きな病気に繋がりかねない。」とも言われます。
大きなショックと、未来への不安が、同時に降りかかってきました。
”血尿を止めるには、運動をやめるしかない”
自分で出した答えを、自分が一番受け止められませんでした。
結局、僕は、部活をやめました。いや、辞めざるを得ませんでした。大好きな運動を奪われてしまい、何もかもが嫌になったのです。
部活の仲間をサポートするという選択肢もあったかもしれません。けれど、僕には、”部活を辞める”という選択肢しか見えていませんでした。
てんかんという脳の病気で、不安に襲われる毎日を過ごすことになり、それに加えて、謎の血尿によって生きがいも奪われてしまいました。
それから僕の高校生活は、転落していきます。
(血尿は現在は治っております!)
なんちゃって不良の誕生
部活を辞めて時間ができた僕は、同じように部活を辞めたクラスメイトと遊ぶようになりました。
放課後は、毎日友達の家に行き、麻雀をしていました。今まで真面目に生きていた僕にとって、”麻雀”という、少し”大人”で”悪”なものに惹かれていきました。
高校生ながらにして、周りの友達は、みんなタバコを吸っていました。ただ、僕は”体に悪そう”という思いから、一度も吸いませんでした。(そこ真面目かいっ 笑)
悪に少しずつ染まり始めた僕は、髪を金髪に染め、耳にはピアスを開けました。(夏休みの期間だけ。)
ネットの掲示板で、クラスメイトを誹謗中傷して、1ヶ月の謹慎処分を受けたりもしました。(今思えば本当に申し訳ないことをしたと、反省しています。)
こうして、中学時代のスーパースターから一転し、周りに流された”なんちゃって不良”になっていきました。
高校生活の中でのてんかん
しかし、なんちゃって不良になっても、てんかん発作は関係なく僕に襲いかかってきました。
高校生活の中で、5回てんかん発作に襲われ、その中には、命の危機に直面するものもありました。
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脳神経外科に通い、ときにはMRIやCT検査をするために、遠くの病院まで行ったりもしました。薬を処方され、毎日飲むことにもなりました。
初めは1日3錠飲んでみて、大丈夫なら2錠、1錠と減らしていきました。しかし、1日1錠にしたタイミングで発作が出たので、結局1日2錠になりました。
友達の前で発作が出たこともありましたが、そこは人情に厚い不良仲間。僕のことを毛嫌いする人はいませんでした。
周りの友達や先生には、ほんとに恵まれていたなぁと思います。
でも、僕がてんかんという病気を受け入れることはありませんでした。
心の中では、「こんな病気なくなればいい」、「なんで自分がならなきゃいけないんだ」といつも考え、悩んでいました。
僕を支えてくれた夢
荒れていた僕の高校生活でした、1つの夢が、僕を支えてくれていました。
高校生になると、小学生の頃から抱いていた憧れは、夢へと変わっていました。
どんなときでも欠かさずお笑い番組はチェックして、年末にある「M-1グランプリ」には、いつも胸が高まっていました。
「いつか自分もあの舞台に…。」
そんな妄想ばかり膨らんでいました。
高校1年のときの進路相談のときから、「高校卒業後は、お笑い芸人になります!」と宣言し、担任の先生の目を丸くさせたこともあります。
一言もしゃべったことのない、同学年で一番のイケメンに「お笑い芸人になるんだって?頑張れよ。」と声を掛けてもらったこともあります。笑
両親にも「自分の好きなことをやってみなさい」と言ってもらい、自分の進路は決まっていました。
高校卒業と共に、なんちゃって不良からも卒業し、1年間アルバイトでお金を貯めて、お笑いの養成所に行くことに決めました。
そして、高校を卒業した1年後の2月、大いなる希望を胸に、僕は東京へと旅立ちました。
しかし、このときの僕は、これから自分が絶望へと叩きつけられることになるなんて、夢にも思っていませんでした。
エピソード3へ続く…。
最後までご覧頂き、ありがとうございました。
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「癲癇」と「転換」
どちらも読みは、”てんかん”。癲癇という病気の見方や考え方を、プラスな方向へ転換させたいという思いから、”てんかん講師”と名乗っています。
僕自身が、癲癇になって、人生が何度も転換していった。(悪い方へも良い方へも)そんな経験を伝えていきたい。#てんかん #ミレラボ
― てんかん講師 中村真二@6/8東京 6/29浜松,名古屋 (@nakamur809) 2019年4月20日
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