笑顔を届けるてんかん講師のリンカーン中村です。
僕とてんかんとの今までのストーリー。全6話の第3話目です!
エピソード2はこちら
エピソード3は、夢を追いかけ東京に行った話です。
”お笑い芸人になる!”
そう意気込んで向かった東京。しかし、そこには理想と現実の大きなギャップ、そして避けられない運命が待ち構えていたのです。
松竹芸能タレントスクールへ
お笑いに芸人になるための方法として、”事務所の養成所に通う”というのは、聞いたことがあると思います。
僕の場合、漫才がしたかったので、どうしても相方が必要になります。相方を見つけるためにも、養成所へ行く必要があると考えていました。
ここで大事なことは、”どこの事務所の養成所に行くのか?”ということです。
お笑いの事務所といえば、天下の吉本興業があります。
ダウンタウンを始め、名だたるお笑い芸人が所属する、業界でトップの事務所です。
でも僕は、吉本ではなく、松竹芸能という事務所の養成所に入ることにしました。
「なんで吉本じゃなくて、松竹にしたの?」と、よく聞かれます。笑
これに対する答えは単純で、「ライバルが少ないと思ったから」です。
(もちろん、すごくすごく甘い考えだったと、反省しています。笑)
そんな甘い考えで、松竹芸能のタレントスクールへ行くことにしました。
いざ、お笑いの道へ。しかし…。
入学初日、オリエンテーションを聞いた後、全員の前で自己紹介をします。
同期は30名ほど。1人1分で、ウケを取ったり、普通に自己紹介をしていきます。僕は緊張のあまり普通の自己紹介をして、何一つウケを取れませんでした。
全員の自己紹介が終わると、養成所の先生が「じゃー、相方決めて、コンビ組んでもらいます。」と、一言。
”えーーーーー!!!いきなり!?まだ名前くらいしか知らないのに!?”
かなりビックリしましたが、あれよあれよで、埼玉から来た同い年の人とコンビを組むことになりました。
ただ、コンビを組んだものの、人見知りな僕にとっては、かなりの苦痛でした。
仲良くもない人と、お笑いをするという状況が、全く楽しくありませんでした。
その結果、コンビは1ヶ月で解散。それからは、1人でネタを作ることになっていきました。
しかし、元々は漫才がしたくて踏み込んだ世界。いきなり出鼻をくじかれ、落ち込みました。
”思ってたのと、違うなぁ…。”
理想と現実のギャップに、日に日にメンタルが削られていきました。
決定打はやっぱり……。
そんなある日、てんかん発作が起きました。その発作により、僕は肩を脱臼してしまいます。
その日以来、”次はいつ発作が出るのだろう…。”という不安が、僕の頭の中を支配するようになっていきました。
さらに、普段の生活を片腕で過ごさなければいけなくなり、それもストレスになっていました。
”だめかもしれない…”
自分への不甲斐なさ、てんかん発作への恐怖、1人暮らしへのストレス…。
色んなものに耐えられなくなった僕は、1人きりの部屋で毎日のように泣いていました。
”このままでは、自分が自分じゃなくなってしまう。”
そう感じた僕は、それから程なくして、浜松へ帰ることを決めました。
帰ってきた僕に残されたもの。
浜松に帰ってきたものの、僕の心が満たされることはありませんでした。むしろ、その逆でした。
僕を支えてくれた希望の光さえも、失ってしまったのです。そのかわりに、てんかんという病気だけが、取り残されていました。
周りの友達は働いていたり、大学に進んでいたりする中で、自分だけ何もしていない。
さらには、働こうと思っても、てんかんを伝えるとなかなか仕事に就けない。
そんなことも重なり、僕は完全に生きる意味を失いました。
高校1年のときから、転落し始めた僕の人生は、とうとう底へと達しました。
”てんかんさえなければ…。”
”こんな人生なら、ないほうがマシなんじゃないか?”
”僕には、生きている価値なんてないのかもしれない…。”
答えが出ない問題に毎日悩んでは、落ち込んでいました。僕の気持ちは、すれすれのところで、この世界に留まっていました。
誰の役にも立てず、いつ起こるかもしれない発作が起きれば、周りの人に迷惑を掛けてしまう。
てんかんになるという運命は、どこまでも僕を追い詰めていきました。
”人生なんて、いつ終わってもいい。むしろ…、終わってほしい。”
心が張り裂けそうでした。僕の運命はてんかんになった瞬間から、不幸に向かっていたのだと、思うようになっていました。
絶望という暗闇の中を、明かりも持たずに、ただひたすた歩き続けなければいけなかったのです。
しかし、そんなある日。
ふいに、僕の日常の中に、ポツリと小さな明かりが灯りました。
それは、目を凝らさなければ見えないような明かりでした。
それでも、僕の暗闇を確かに照らしてくれたのです。
僕の人生に明かりを灯した人物。それは、高校時代の同級生でした。
エピソード4へ続く…。
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「癲癇」と「転換」
どちらも読みは、”てんかん”。癲癇という病気の見方や考え方を、プラスな方向へ転換させたいという思いから、”てんかん講師”と名乗っています。
僕自身が、癲癇になって、人生が何度も転換していった。(悪い方へも良い方へも)そんな経験を伝えていきたい。#てんかん #ミレラボ
― てんかん講師 中村真二@6/8東京 6/29浜松,名古屋 (@nakamur809) 2019年4月20日
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