てんかん患者のてんかん患者によるてんかん患者のためのブログ
僕はてんかんになることを望んでいたのかもしれない。

笑顔を届けるてんかん講師のリンカーン中村です。

 

「僕はてんかんになることを望んでいたのかもしれない。」

衝撃的なタイトルに聞こえるかもしれません。

 

でも、僕はある2冊の本を読んだことで、そう考えざるを得なくなりました。

 

勇気がいる考え方なのは、間違いありません。僕も怖かったです。

しかし、一歩踏み込んで考えてみることで、違った一面が見えてきたのです。

衝撃だった、2冊の本。「病気は才能」、「嫌われる勇気」

ここ1ヶ月の間で、僕の考え方を変えてしまう2冊の本と出会いました。

1冊は、「病気は才能」という本で、もう1冊は、「嫌われる勇気」です。

 

なにが衝撃的だったかというと、僕がてんかんになった理由についてです。

 

「病気は才能」では、このような文章が出てきます。

病気になりたくない、元気でいたいと顕在意識で強く思っていても、もし、あなたのココロの奥=潜在意識の領域で、「病気の状態を望んでいる」としたら…?(引用:「病気は才能」P59)

「病気は才能」3センテンス要約はこちら

 

そして、「嫌われる勇気」では、このような文章が出てきます。

アドラー心理学では、過去の「原因」ではなく、いまの「目的」を考えます 。

いまのあなたが不幸なのは自らの手で「不幸であること」を望んだからなのです。
「不幸であること」がご自身にとっての「善」だと判断した、ということなのです。(引用:「嫌われる勇気」P27,P45,P47)

「嫌われる勇気」3センテンス要約はこちら

てんかんになることを望んでいたとしたら…?

この2冊から、考えたことは、

”僕は、てんかんになることを、望んでいたのかもしれない…。”

ということです。

 

「てんかんになることを望んでいた?何言ってんだ、コイツ?」

きっと、そう思う人もいると思います。

 

「病気は才能」の中には、”顕在意識5% 対 潜在意識95%”というのも紹介されていて、人間は、自覚できることよりも、 考えずにやってしまっていることの方がはるかに多い、だそうです。

例えば、歯を磨くときに、「指をこう動かして、次はこの角度で・・・」 なんていちいち考えなくてもできてしまうように、 圧倒的に無意識で行動しています。歩くときとかもそうですね。

 

では、病気などの場合はどうでしょうか?

「よし、病気になろう!」 と思い、体調が悪くなったり、病に冒されたりする人はいないと思います。 病気は自分で意識せずになってしまうものです。そして、体は潜在意識の欲求に従うと言われています。

”病気になってでも、達成したい何かがあるとしたら…。”

……考えさせられますね。

 

そして、「嫌われる勇気」では、原因論ではなく、目的論という考え方を紹介しています。

原因論→「Aだから、Bをしない」という考え方。Aという原因があって、Bに影響している。

目的論→「Bしたくないから、Aになった」という考え方。Bを達成するために、Aを作り上げた。

例えばてんかんの場合、

「てんかんだから、車の運転をしない。」という原因論的な考え方は、

「車の運転をしたくないから、てんかんになった。」という目的論的な考え方に、置き換えることができます。

 

てんかんになってでも、達成したい目的があったから、てんかんになったという考え方です。

てんかんになってでも叶えたいもの、達成したいこととは?

てんかんになってでも叶えたいものってなんだろう…。

 

確かに、てんかんになって得られたことがあるのは、事実です。

  • モノに対する考え方
  • 感謝の気持ち
  • 親の愛情の深さ
  • てんかんという1つのアイデンティティ

これらは、てんかんになっていなかったら、得られなかったと思います。

もしかしたら僕は、潜在的な、心の底で、”これらを得たい”と思っていて、その欲求に応えるために”てんかんになった”のかもしれません。

 

てんかんは、原因不明でなることが多いです。僕も、ある日突然なりました。そう考えると、てんかんになった意味というのは、どこかに必ずあると思います。

あなたがてんかんになった理由を考えてみよう。

今になって、”てんかんになることを望んでいたとしたら…?”と、少しずつ考えられるようになりました。

しかし、てんかんになった当初の僕からしたら、そんな考え方、あり得ませんでした。

「そんな訳ねーだろっ!早く治れっ!」

きっとそう思っていたはずです。

 

でも、そう考えていても、苦しいだけで、出口は見つからないままです。

 

てんかんになった理由を、なんとなくでも考えてみることで、てんかんを受けれられるようになっていきます。

 

 

僕はてんかんになって、とても苦しい思いをしました。しかし、母親を始め、多くの人が心配してくれたことで、”1人で生きているわけではない”、ということを知りました。

その中で、”てんかんになったのは、感謝の気持ちを知るためだったのかもしれない”。と考えることができたのです。

周りの人に感謝を伝えたいという目的があって、てんかんになったのかもしれない。ということです。

 

このように少し、考え方を変えてみることで、てんかんの新たな一面を見ることができます。

 

 

もし、今てんかんになったことで悩んでいる人がいるのなら、”てんかんになったことで得られたもの”を考えてみてほしいと思います。

考えてみることで、少しずつ、少しずつでいいので、てんかんを受け入れていきましょう。

 

最後までご覧頂き、ありがとうございました。

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