笑顔を届けるてんかん講師のリンカーン中村です。
僕はてんかんを持っていますが、自分のこの体を愛していますし、本当に感謝しています。
なぜそう思えるのか?
そこにはちゃんと理由があります。
そして、この先。
僕の体にさらなる異変が起きたとして、その思いは変わらないでしょう。
てんかんに支配された心
てんかんになった16歳の頃、僕は悩み続けていました。
- 「どうしてこんな病気になってしまったのか…」
- 「なんでこんな病気にならなければいけないのか…」
今思えば、このときの僕の心は完全に、てんかんに支配されていました。
てんかんのことばかりを考え、妬み、恨んでいました。
病気ではなかったときのことを、羨ましく思い、自分の身に降りかかった病気を受け入れられませんでした。
まだまだ健康だ
それでも、てんかんと付き合ってきた14年の日々の中で、分かったことがあります。
それは、”僕の体には健康な部分もたくさんある”、ということです。
むしろ、そっちの方が圧倒的にたくさんあります。
てんかんを持っていますが、歩けなくなったわけではありません。話せなくなったわけでも、目が見えなくなったわけでもありません。
僕の体には、正常に機能しているところが、まだまだたくさんあります。
ただ、てんかんになった当初はそんな風に考えられませんでした。
しかし、てんかんと向き合い、受け入れ、前向きな行動をしていく中で、徐々に感謝の心が芽生えていきました。
そして、実際に感謝することで、さらにその思いは強く、大きくなっていきます。
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すると、恵まれていない部分に目を向けていたのが、少しずつ恵まれているところにも、目を向けられるようになっていったのです。
目を向けよう。恵まれているところに
今回の僕の人生では、たまたま脳が異常を抱えてしまいました。
人間だったら誰しも体のどこかに異常を持っています。(膝が痛かったり、視力が低かったり…。)
僕の場合、それが脳だっただけなのです。もちろん、大変なこともたくさんありますし、悩むこともたくさんありました。
けれど、そこにばかり目を向けていたら、苦しいだけです。
そうではなく、恵まれているところに目を向けて、それらに感謝できるのか、ということが大事なのです。
その心があれば、恵まれていないところがあったとしても、十分に前を向いて歩いていけます。
世の中には、ある日突然病気で命を落としてしまう人がいます。食べるものがなく餓死してしまう子供もいます。
そのようなことを考えれば、今日を生きていることがどれだけ感謝すべきことなのか、分かるはずです。
感謝の気持ちを持つことができれば、例え病気を持っていたとして、恵まれているところにも目を向け、前向きに生きることができるようになります。
例えてんかんを持っていても、僕はこの体を愛しています
僕は、てんかんになったことを嘆くよりも、健康なところに感謝したいです。
元気に動く足があるから、友達と大好きなフットサルができます。
目が見えるから、サッカーの試合を観て大騒ぎできます。
耳が聞こえるから、音楽から元気をもらえます。
例えてんかんを持っていても、僕はこの体を愛しています。
なぜなら、他の部分が健康で正常に機能してくれているから。
そして、この先。僕の体にさらなる異変が起きたとして、僕はこの体を愛し続けたいと思います。
足がなくなっても、目が見えなくなっても、耳が聞こえなくなっても、
まだできることの中から喜びを見つけて、前向きに生きていきたいです。
これからも掛け替えのないこの体と共に、最高な人生を歩んでいきます。
最後までご覧頂き、ありがとうございました。
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「癲癇」と「転換」
どちらも読みは、”てんかん”。癲癇という病気の見方や考え方を、プラスな方向へ転換させたいという思いから、”てんかん講師”と名乗っています。
僕自身が、癲癇になって、人生が何度も転換していった。(悪い方へも良い方へも)そんな経験を伝えていきたい。#てんかん #ミレラボ
― てんかん講師 中村真二@6/8東京 6/29浜松,名古屋 (@nakamur809) 2019年4月20日
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