てんかん患者のてんかん患者によるてんかん患者のためのブログ
僕が死んだ日。

笑顔を届けるてんかん講師の中村です。

 

てんかん

 

「後悔しないように生きる」

きっと多くの人が聞いたことがあり、考えたことがあるのではないでしょうか。

では、なぜこの言葉が多く聞かれるのでしょう?

 

それはきっと、“多くの人が後悔を抱いたままこの世を去っていく”ということに、他ならないからではないでしょうか?

 

例えば、今日で人生が終わるとしたら、「後悔がない」と胸を張って言えますか?

 

 

僕は“後悔がない人生を歩む”ということを心に決めています。

そして、常日頃から後悔しない選択を取るように心がけています。

 

ただ、幼いときからそのように考えていたわけではありません。

僕はてんかんになり”一度死んだ”ことで、「人生に後悔したくない」と、強く思うようになったのです。

 

人生4度目のてんかん発作

 

てんかん

 

てんかんになって1年半が過ぎた高校2年の秋。

2泊3日で修学旅行で大阪と九州に行くことになりました。

前の発作から2ヶ月が過ぎ、まだまだ予断を許さない状況でしたが、てんかんが理由で高校生活1番のイベントに”行かない”という選択肢はありませんでした。

 

 

修学旅行の予定は、1日目の朝に新幹線で大阪に移動し、その日の夜にフェリーに乗り、朝起きると長崎に着いているというものでした。

 

「普段通りしっかり睡眠を取れば、特に問題ないだろう。」

 

当時の僕はそのように考えていました。

しかし、そんな僕の考えが甘かったというのを、現実は残酷に教えてくれました。

 

 

・修学旅行で友達と外泊すること

・初めてフェリーで夜を過ごすこと

この2つに完全に舞い上がっていた僕は、愚かにも2段ベットの上段に自分の場所を確保してしまいました。

そして高揚した気持ちが収まりきらないまま消灯時間を過ぎ、なんとなく浅い眠りに落ちていきました。

 

 

次の日の朝。

若干のだるさを感じながらも起床した僕は、朝食を素早く済まし、船内を散策しました。

甲板で浴びた朝日と潮風の心地よさは、10年以上たった今でも鮮明に覚えています。

 

その後、支度をするために、自分の陣地である2段ベットの上段に戻ってきました。

 

しかし、寝間着をバックに詰めていたとき、一つの異変が僕を襲います。

 

”・・・あれ?頭が揺れる。”

 

その直後、同じ異変が連続で起きるのを感じました。

電波の悪いところで電話をしているかのように、意識と視界が途切れ途切れになっていきました。

 

そして次の瞬間、僕の意識は完全になくなりました。

 

 

僕が死んだ日

 

てんかん

 

まるでステージの幕が上がるかのようにゆっくり目が開いていくと、不安そうに僕を見つめるクラスメイトの顔が飛び込んできました。

 

「どいてーー!!道開けてーーー!!」

 

怒ると恐いことで有名な社会科の先生が、まるでサイレンを鳴らすかのように、僕を背負いながら、同級生の花道を駆けていきます。

 

 

”あーーー

てんかんの発作が出たんだな・・・”

 

状況はすぐに理解できました。

僕は次にしなければいけない、’体の異常を確認する’ことに、考えを切り替えました。

 

頭の中は・・・、ジェットコースターに1時間くらい連続で乗ったかと思うくらい重い。ぐるぐるかき回されたようでした。けれど、これは発作後なのでいつも通り。

体は・・・、痛っ。右手を動かそうとすると肩に激痛が走ります。これはやばそう。まるで動きません。

あとは・・・特に、異常なし・・・。

 

 

てんかん発作が出てしまった僕は、流れに身を任せるしかありませんでした。

付き添いの先生と共に、病院へ直行しました。

 

 

「てんかんを持っています。」

 

そう伝えるだけで、大体の医師は理解してくれます。

あとは肩の容態を確認するだけ。

 

レントゲンやCT検査を行い、下された診断は、

[右肩鍵盤断裂、脱臼]

全治3ヶ月の大怪我でした。

 

これだけでかなりショックを受けましたが、そのときに言った医師の一言が、この怪我の何100倍も僕の人生に大きな影響を与えることになりました。

 

 

「首から落ちなく良かったね。

もし首から落ちてたら、首の骨が折れて死んでいたかもしれないよ。」

 

 

それを聞いた瞬間、時間が止まったかのように感じました。

思考するスピードが遅くなり、次第に何も考えれなくなりました。

 

それ以降に何を言われたのか、何を話したのか、どうやって病院を出て、クラスメイトに合流したのか、一切覚えていません。

 

”死んでいたかもしれない”

 

その言葉だけが、壊れたCDのように、頭の中で永遠と繰り返されていました。

 

 

 

当たり前が、当たり前ではなくなってしまうことへの恐怖

 

てんかん

 

あの日、以前までの僕は死にました。

 

この“もしかしたら死んでいたかもしれない”という出来事は、てんかんを持っていたから起きました。

しかし、てんかんとはこれからも付き合っていかなければいけません。

そして、てんかん発作がいつ襲ってくるのかを、知る術はありません。

 

 

その事実から僕が導いてしまった答えは、17歳にはあまりにもショックが大きいものでした。

 

 

“僕はいつ死んでもおかしくない”

 

 

てんかん発作が起きるタイミングが悪ければ、僕は死んでしまいます。

 

僕のてんかんは睡眠と大きく影響していました。

そのため、毎朝起きるのがとても恐くなりました。

 

次の瞬間には、2度と覚めることのない眠りについてしまうかもしれなかったからです。

 

 

僕の人生は、綱渡りのようなものへと変わっていきました。

次の一歩を踏み出した瞬間、今の景色が失われてしまう可能性だってあります。

 

発作が出て、窓ガラスに突っ込んでしまったら・・・?

玄関を出てすぐの階段で、発作が出てしまったら・・・?

学校に向かう最中に、発作が出て車道側に倒れてしまったら・・・?

 

目に映るものすべてが、恐怖に変わりました。

 

 

僕は17歳にして、「死」を受け入れて、生きていかなければいけませんでした。

 

 

 

「死」を感じたからこその、「生」への思い

 

てんかん

 

このように、17歳で一度死を感じてから、僕は常に死を意識しながら生きています。

 

“いつ死んでもおかしくない”

 

 

始めは受け入れるのに、時間が掛かりました。

けれど、そんなことを考える毎日の中で、思うことがあります。

 

 

それは、”いつ死んでもいいように、毎日を精一杯生きたい”ということです。

 

 

”いつ死んでもおかしくないなら、いつ死んでもいいように、後悔がない毎日を過ごしたい。”

心の底からそう思うようになりました。

 

 

そしていざ死ぬときには、

”僕の人生は最高だった。てんかんを持っていたけれど、それで良かった。”

と胸を張って言えるようにしようと、決めています。

 

 

そのためにも、“後悔がない選択”を取るように日々意識しています。

 

自分のために、そして誰かのために、生きていることを全うしたいです。

 

 

 

 

「後悔しないように生きる」

 

わかっていてもなかなか実行に移せない人も多いと思います。

その理由はもしかしたら、’死’についてあまり考えたことがないからかもしれません。

 

けれど、’死’を考えることは、とても怖いことです。

僕はあんな怖い体験を誰かにして欲しいとは思いません。

 

だからこそ、そんな経験をした僕が’生きていることの素晴らしさ’を伝えていきたいと思います。

 

 

17歳のあの日、僕は一度死にました。

しかし一度死んだことで、毎日を生きていることの素晴らしさを知ることができました。

 

そして本当に命が尽きるその瞬間には、”産まれてきて良かった”と笑顔でこの世を去りたいと思っています。

 
 
 

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