笑顔を届けるてんかん講師のリンカーン中村です。
僕はてんかんになって、いくつかの制約を受けてしまいました。
その制約は僕を苦しめ、悩ませてきました。
しかしそんな制約も考え方ひとつで、違うものに変わっていきます。
震えるを受け入れた芸術家、フィル・ハンセン
今日はまずはひとつの動画をご紹介したいと思います。
「Ted」という世界各地で開催されている、プレゼンテーションのイベントで、フィル・ハンセンという方がプレゼンした動画です。僕はこのプレゼンで、“受け入れがたいこととの向き合い方”に関して大切なことを学びました。
10分ほどの動画です。
アメリカ出身の芸術家フィルさんは、学生時代に突然手が震えるようになり、作品が描けなくなってしまいました。
病院に行ってわかったのは、治る見込みのない神経障害ということ。
しかしそこで医師がこう言いました。
「震えとうまく付き合ってみては?」
そこからフィルさんの人生は一転します。
震えを受け入れて、震えの影響がない方法で作品を作るようになっていきます。
その結果、”震える”という制約があることが、逆に創造性を高めるということを知ったのです。
それから自身の作品にあえて様々な制約を設けることで、独創的な作品を作り続けています。
フィルさんは最後にこう言います。
「制約を楽しもう」
僕がてんかんになって受けた制約
僕はてんかんになって、いくつかの制約を受けることになりました。
中でも生活に大きな影響を与えたのが、車の運転が制限されてしまったことです。
2年以内に発作を発言したことが一度でもあると、道路交通法上運転はできなくなります。
一度でも発作が出てしまうと、2年間運転が制限されてしまいます。
僕の住んでいる浜松市は、車社会です。
車を持っていないだけで、移動範囲が限られてしまいます。
これは大きなアドバンテージです。(僕の住んでいる和地町は浜松駅から遠いので、尚更です。。。)
しかし、”車という移動手段がない”というだけであって、”移動手段がない”というわけではありません。
であれば、車がないという現実を受け入れ、車以外の方法での移動方法を見つけるまでなのです。
僕は現在、バスで45分近く掛かる職場に通っています。
しかし、全く苦ではありません。むしろ快適に過ごしています。
バスで移動することで、その間は寝ることができます。職場に着く頃には目が冴えているのです。
それに、バスで浜松駅周辺まで行くことで、家よりも都会なので、刺激的な人が多く、色んな方に出会えるようになりました。
”車という移動手段がない”
ということで、
“車に乗っていたら手に入らなかったもの”
が手に入ったのです。
他にも、”毎日薬を飲まなければいけない”という制約を抱えています。
これも結構なストレスで、飲み忘れてしまうと自己嫌悪に陥ってしまうこともあります。
でもそんな制限があるからこそ、“どうすれば飲み忘れないようになるのか”を考えるようになります。
これは、自分をいかにコントロールするのか。ということに結びついてきます。
「忘れっぽいから、いつも目に止まるところに薬を置いておく必要があるな・・・」
「部屋のドアに、”薬”って書いて貼っておこうかな・・・」
自分の性格を把握し、色々な仕掛けをするようになっていきます。
“薬を毎日飲まなければいけない”という制約は、
”自分をコントロールする方法を知れる”という一面もあったのです。
制約を受け入れよう
こうなってくると、次第に楽しくもなってきます。
「バスの中で何しようかなぁ〜」
「こうすればもっと日常で薬の存在意識できるなぁ〜」
とアイデアが浮かんできます。
フィルさんが言うように、
“制約を楽しむ”ことで、制約を自然に受け入れ、日常を楽しめるようになっていくのです。
何かの障害や病気を背負い、制約と向き合わなければいけなくなったとき、
それらを反発するのではなくて、一度受け入れてみましょう。
制約の外に目を向けるのではなく、制約の中に目を向けてみることで、見える景色は大きく変わっていきます。
その制約の中でこそ、見つけられるものがあるし、楽しむ方法があります。
あなたが抱えている制約は、あなたに何を与えてくれるでしょうか?
最後までご覧頂き、ありがとうございました。
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「癲癇」と「転換」
どちらも読みは、”てんかん”。癲癇という病気の見方や考え方を、プラスな方向へ転換させたいという思いから、”てんかん講師”と名乗っています。
僕自身が、癲癇になって、人生が何度も転換していった。(悪い方へも良い方へも)そんな経験を伝えていきたい。#てんかん #ミレラボ
— てんかん講師 中村真二@6/8東京 6/29浜松,名古屋 (@nakamur809) 2019年4月20日
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